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被災地の劇団・秋の公演へ

50年以上の歴史を持つ、沿岸の老舗劇団「劇研麦の会」は、装置小屋が流され、今後の公演活動が危ぶまれていましたが、このほど秋の公演は実施したい、との連絡が岩手県演劇協会の事務局長にありました。心強い限りです。県演劇協会事務局長には、メイク道具が欲しいとの遠慮がちな支援要請がありましたが、宮古市文化会館は被災し、会場探しも厳しい状況で、大道具や衣装という財産も失い、他の支援も必要と思われます。
麦の会の公演の実現は文化活動の復興に大きな力を与えると思います。
なんとか、支援したいものです。
岩手県演劇協会といわて文化支援ネットワークで協力して支援したいと思います。

メイク道具の寄贈は
〒020-0878
盛岡市肴町4-20永卯ビル3F いわてアートサポートセンター内岩手県演劇協会

支援金の口座は次のとおりです。
・みずほ銀行 盛岡支店(普通)1190698 口座名:いわて文化支援ネットワーク
・ゆうちょ銀行 店名【八三八】(普通)0808732 口座名:いわて文化支援ネットワーク
・岩手銀行 中ノ橋支店(普通)2044173 口座名:いわてアートサポートセンター文化支援

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岩手県演劇協会総会

昨日、6月11日、賑やかなチャグチャグ馬コの行列が、いわてアートサポートセンターの前を過ぎた午後2時、岩手県演劇協会の総会が、サポートセンター風のギャラリーで開催されました。
今年は、役員改選期でもありましたが、全員留任です。

名誉会長 川村光夫(ぶどう座)
会長 坂田裕一(赤い風)
副会長 浅沼久(九月とアウラー)
副会長 こむろこうじ(個人会員)
事務局長 澤田綾香(香港活劇姉妹)
事務局員 稲邊弘康(コトナコナタ、いわてアートサポートセンター専従職員)
岩手県演劇協会は、会長の定年を設けている珍しい団体です。
65歳定年(特例で2期4年延長可)。

さて、今年の総会の話題は何と言っても大震災。
演劇協会加盟員には人的被害はありませんでしたが、宮古市の麦の会では装置小屋が被災し、大道具・衣装・メイク道具などが全滅しました。
協会も沿岸被災地の文化支援の事業費を予算に組み込みました。

赤い風公演終了

パソコン環境が変わったり、忙しかったりして、やっとブログに復帰しました。
赤い風の公演が昨日3月6日に終了しました。
昨晩は、じっくり休めました。
本日は休みで自宅でのんびりです。

さて、書き下ろした「テルミドールの風」ですが、妹からは久しぶりに頭を使って芝居を見た、と言われました。
3部作の2部終了で、皆さんから3部作目は、と訊かれます。
「ぼくたちは世代で生きてるんじゃない、個人でいきてるんじゃないのか」というキーワードでテルミドールの風を書きましたが、次のキーワードをなんにしようか迷っています。
本当は、この作品、昨年の7月に上演しようと思っていましたが、諸事情により伸びてしまいました。
3部作目は来年にはしたいですね。

歌うワーニャおじさん

9月17日、元さんこと、山元清多さんの通夜の開始時刻に、初日の幕を開けた。
チェーホフの戯曲を黒テントでやろう、と発案し、自らが脚本を担当する予定だった元さんが、再度、入院を余儀なくされたのは、6月下旬。7月1日、東京女子医大におきあんごと見舞いに行ったとき、岩戸町の黒テントの稽古場ではチェーホフの三人姉妹の読み合わせを、斎藤晴彦さんが中心となってやっていた。そのときに、ワーニャおじさんをやるとは決まっていなかったので、おそらく、約2カ月ほどで今回の舞台を作り上げたことになる。しかも、A班・B班のダブルキャストというから驚きである。斉藤晴彦さんの演出で、訳は松下裕さんのものを使用した。
「歌う」という表題をつけ、ミュージカル・チェーホフとのキャッチコピー。曲は古賀義弥、演奏は吉村安見子。
A班のワーニャおじさんは、内沢雅彦君。元赤い風で、盛岡での元さんのワークショップを契機に黒テントに入団した。もう、20年以上も前のことだ。元さんには、内沢君の入団のことでとても心配をかけた。そんなこともあって、この初日の舞台鑑賞は、ことさらに思いが入った。内沢君の登場のたびに胸が締め付けられた。
開演前、一緒に行ったおきあんご、伊勢二朗と、上演時間の話になった。音楽劇だから、そう長くはないはずだ、長くて2時間近くじゃないかな、などと勝手に考えていた。新幹線で座りっぱなしで疲れていたせいもある。伊勢二朗はチェーホフは退屈しそう、と思っているので余計心配している。私も、ロシアの長い名前が苦手なので短い上演時間が望ましい。
予想に反して、上演時間は長く(2時間40分)、芝居は退屈しなかった。
退屈しない芝居は、読後感もよい。なによりも内沢君の演技のすさまじさと、これも予想外の歌のうまさに驚いた。
ラストシーン。さまざまな思いの中、ソーニャとワーニャが二人残り、ソーニャの「私たち、生きていかなければ」という台詞は、諦観の中の複雑な思いがまじりあった台詞だった。現代社会は閉塞状況にあるという。これまで大切してきた価値観が失われ、人々は、絶望の淵に立たされる。身を捨て命を絶つか、そこから逃げるか、どちらの道もとることのできない現代人は、一体どうすればよいのだろう。それでも、生きていかなければ・・・。
内沢ワーニャは、激昂と諦観の落差を見事に演じきっていた。
2時間40分、あっという間の2時間40分。その日は朝5時まで飲んだ。

元さんの告別式

山元清多さんの告別式が9月17日午前11時からJR中央線信濃町近くの千日谷会堂で行われた。
私は、おきあんご、伊勢二朗と一緒に前日の通夜から参加。前日は、黒テントの「歌うワーニャおじさん」の初日でもあった。テントでは「公演が終わってから皆一緒に通夜に行くので、みなさんも一緒に」というので、私たちもそれにならった。通夜は午後7時から、公演も午後7時から。2時間40分の公演が終わって会場に駆け付けると、2回目の通夜が始まった。黒テントばかりではなく、その日に公演や稽古があった演劇人も集まった。流山児祥、坂手洋二、松たか子、柄本明等々。奥さんの稲葉良子さんが喪主。気丈だ。
通夜に集まった人たちで献杯の発声は斎藤晴彦さん。斎藤さんは今回の葬儀委員長的存在。元さんとは長い間の同志であり、親友だ。盛岡に二人で一緒においでになり、赤い風の芝居を見ていただいたことがある。さて、その斎藤さん、「実は今日は、黒テントの初日であり、喪主から初日祝いの乾杯も一緒にやってくれ、と言われてどうしようか考えたが、この際、献乾杯!と言っていただきましょう」ということで杯をあけた。
この黒テント公演は、実は、山元さんがチェーホフ作品を下書きにして書く予定だった。
病気で元さんが担当することができなくなり、斎藤さんが後を引き継いだ。だから通夜と公演日時をあえて一緒にしたという。元さんとの出会いで、黒テントに入った元赤い風の内沢雅彦が主演のワーニャおじさんを演じたのもなにかの縁だろう。内沢君の熱演には見せられた。そこに元さんの「内沢、よくやったな」という声が聞こえてきた。
通夜では、新井純さん、石井くに子さんら昔の黒テントメンバーと元さんのこと、元さんの作品についていろいろ話をした。
その夜は、テントの内沢君、伊達さんを交えて明け方まで飲んで語った。
祭壇は皆から贈られた花で作られた。盛岡からも赤い風、九月とアウラー、盛岡劇場、そして私たち古い盛岡の演劇仲間から花を届けた。告別式には、藤原正教夫妻、宮川康一、畑中美耶子の盛岡の演劇仲間も合流した。いろいろな演劇人の姿が見えた。
弔辞は、斎藤晴彦さんと現在の黒テント代表の宗重さんのお二人。
出棺では、黒テントの若手が棺をもった。棺を車に入れようとするとき、誰からか「元さん、ありがとう」と大きな声がかけられた。涙がこみ上げてきた。
投稿者 小天地(y.sakata) 時刻: 5:53
プロフィール

坂田裕一

Author:坂田裕一
1952年12月13日生まれ。
B型いて座
岩手県盛岡市在住
大学時代から演劇活動を行い、現在も継続中。
劇団赤い風所属。
岩手県演劇協会会長。
日本演出者協会員。
NPO法人いわてアートサポートセンター副理事長。

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